自死遺族支援のためのシンポジウム ―支援のための提言―

(つづき B) 第3部■質疑並びにディスカッション   篠原 鋭一・鈴木 康明・南部 節子

篠原 : あとお二人にお聞きしたいことが何かあったら手を挙げて下さい。
ところで日本の社会はかつては農村型社会だった。この農村型社会っていうのは良い点もあったけど、悪い点もあった。間違いないですね。しかしどこかやっぱり一緒に生きていこうよという世界があった、社会があったことを私は今でも信じています。皆で生きていこうよという。

ところがですね。丁度、池田内閣のあたりからだと思いますけれど、どんどん、どんどん日本というものが農村型社会から都市型社会に変っていく、その都市型社会に変わるということは皆で生きていこうよという感覚ではなくて、「お前ひとりで生きて行け」という社会を日本はつくり始めたと言えます。

丁度、今の時代はそれが極端に発達してしまって、若い方も、お年寄りも「もう、あなた一人で生きていけ」と。若者に対して「お前ひとりで生きていけ」という社会を我々がつくったとしか思えないですね。そうすると「お前ひとりで生きていけ」と言って、生きる方法を何とか構築できた若者は生きていくでしょう。それからお年寄りもそういう環境にある方は幸いにして長寿で、そして見事に最後の人生を終えられるということになるでしょうけど。

今の形だとですね「ひとりで生きていけ」と言われても、生きる条件が整わなければ生きていけないですよね。そうすると何が起きるかというと、「私は孤立だ」と思っているんです。ただ、孤独というのは、これは私の誠に個人的な考えですから反論があると思いますが、孤独というのは解放されると私思っているんです。時々寂寥感というか、いろいろこの人生良かったかなというような思いがありますよね。

でも、友達が「今夜食事をしない」っていうふうなことを言ってくれたら、「ふ、ふ、ふ」て言って、「ありがとう」と言って飛んで行けば、あるいは家族がなんか声を掛けてくれれば、孤独だってことはすっとんでしまうことがあるけれども、孤立というのは自分と自分以外の関係が断絶しますから、これを取り戻すのはすごく難しい。
だから私は結論的に言いますけれども、孤立させない、それから孤立しない環境を日本の中につくらない限りはこの問題の解決はあり得ないと思っているんです。そのあたり先生どうですか。

南部 : あの確かにそうです。
チョッと紹介したい本が「自殺の少ない町」っていうのご存知ですか。
岡檀(まゆみ)さんとライフリンクで2年位一緒にお仕事してて、徳島県の海部町、そんな小さな町にずっと研究に行ってらっしゃって、「何でそんな町に行っているの」と言ったら「あの、自殺が少ないんですよ、徳島は。何かというと阿波踊りがありますでしょ。皆で一体になって“わっ”とやることがあるのがひとつと、その町で研究すると、未だにね、決して豊かな町ではないんですが、未だに縁台が出て、ご近所で話し合って、嫌なこととか、苦しいことをすぐ誰かに相談できるという町らしいです。
だから自殺が少ない。この町の体制がずっと広がればいいなと。もう本がすぐ売り切れているらしいです。きっと増刷されると思います。

篠原 : 孤独と孤立の問題、チョッと。

鈴木 : 私は今逆のことを考えて伺っていたんだけれども、日本は皆一緒主義って言われていますよ、何をするにも皆一緒。
それはそれとして、もう一回原点に立ち返ってみた時に、逆にひとりってことを見つめ直してもいいと思うな。生まれるのもひとり、死ぬのもひとり。それで終わりじゃないですよ。だからこそ皆で何できるかってもっていく方も必要かな。それをぶっ飛ばしやって、「さあ、皆一緒だよ」というのがチョッと如何かなって気もするしね。
実際に教育的に子ども達に「さあ、君達ひとりだよ、如何伝えるか」というのはまた別の問題かと思うけど、考え方としてはチョッとそれもいいかなって感じしていますよね。

篠原 : いずれにいたしましても、つくづく若い人達はこう言いますね。
「二つのいきづまり・・・・・で私達は死にたい」
「二つのいきづまり・・・・・ってって何だ」と言ったら「息が詰まる。こんな社会息が詰まる」
それから先が見えない「行き詰まり」 これは私二つのいきづまり・・・・・
っていうのを勉強させられたんですけど、若者との対話で。
まさに日本はそういう社会になっていますね。

その背景にすごく人に迷惑をかけるってことは悪だっていう考え方がもう日本人の古来からずっと定着しているって、これはおかしいと思う。つまり生きているということは人に迷惑を掛けないでは生きていけませんよ。だから幼稚園、保育園の先生達は、あるいはそのお母さん達との講演の時に子供達に何を教えますかと言うと、「人に迷惑をかけない人間になるようにと教えています」と仰る。「あ、そうですか。じゃあ、お父さん、お母さん、今迄人に迷惑をかけないで生きてきましたか」と言ったら、シ〜ンとなりますね。

世の中で我々が生きているということは迷惑をかけるのが当たり前です。その代り、だからこそ人からの迷惑もかけられる、生きられるというこの相互があって生きているんだということをひとつきちっと皆が認識すべきだろうと思いますね。そしてもうひとつは一人では生きていけないよと言うことですよ、人間は。人と人との関わりでしか生きていけないよというこの辺りのことをもう一回、大人も、子供も、皆が再認識をして、その辺りからこれからの日本人の社会の在り方を見つめていくみたいなことが、結果的に自死、自殺というふうなことの防止にも繋がるんだろうと、私はずっと思い続けて、あっち、こっちで話をしている訳なんですがね。

では最後に、先生おひとりずつお一言ずつお伺いして終わりにしましょうか。

南部 : 今仰った通り、うちの夫も、男性は特に弱みを見せないという社会、これを大きく変えないともう駄目でもいいじゃないの、弱みを見せてもいいじゃないのという、子供もそうですよね。いじめ、誰にも相談しない、だから苦しいこと、嫌なこと、いいことを言うんではなくて、嫌なことを言ってもいいという教育をしないと私も根本的に変わらないと。それはずっと思っています。

でも、それを変えるにはすごく年数もかかるだろうし、大変なことだと思いますが、少しずつでもやっていかないといけないかなというふうに感じています。

鈴木 : 最後に“迷惑”の話が出て。本当にそうだなと思うんですね。迷惑かけちゃいけない。それはそうだと思うんだけれども、私もうひとつ奥があって、あなたが迷惑をかけると逆に迷惑かけられるからね。それが嫌なんじゃないかなと思うんですね。人間ていうのは突っ込んだ関係性の中にある訳だから、それこそお互い様なんじゃないかという、そこがおそらくむずかしいのかな。そんな気がするんですよね。
だから、ちょっとお帰りになっちゃったけども、さっきの教育の部分、そういうことも子ども達に、それから関わっている教師、大人達に伝えるというか、共有していく社会を目指すことかなと思うんですね。

まあ、最終的に命の尊厳がそこに繋がってくれたらすごく嬉しいなと思っています。本当に今日は逆に勉強させていただいたから、ありがとうございます。

篠原 : 本当に今日は寒くなった時期にこうしてご参集いただきまして、ありがとうございました。お二人の先生に自死遺族という実に分かりやすく、私達がお話の中でこれは私達にもこういうことはできるなというふうな、具体的な行動を教えていただいた。

そして自死遺族のお気持ちを辛いにもかかりませず、南部先生には本当に詳しくお伝え頂きましたこと心から御礼申し上げます。

それでは皆さん、今日はありがとうございました。これにて終了させていただきます。

第3部終了



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