自死遺族支援のためのシンポジウム ―支援のための提言―

(前頁つづき B) 第1部■自死遺族に寄り添う“グリーフ&モーニング” 講師:東京福祉大学・大学院 教授 鈴木 康明

遺族理解の二つの視点

では、二つ目でございます。 そのようなご遺族をどのように理解してですね、ご遺族そのものではない、ご遺族理解ってどういうことなのか。二つ、考えてみたい。

 
ひとつ目でございます。三角形をここに作ってみました。こういうことです。
あまりにも私達個別なんです。決定的に個別です。同じ体験をしても、みんな違います。これがベースになります。何が個別か。先ず、起きた受け止め方ですね。亡くなったという事実を動かすことはできない。でも、それをどのように受け止めていくか。これが本当に人それぞれ異なる。

二つ目。それをどのように表現していくか。悲しみということをどのように表現していくか。 これも人それぞれ異なっている。

そして三つ目。その後の過ごし方です。ですから、人間はですね、さみしい生物っておそらくこういうことではないかと思います。生まれるのもひとり。死ぬのもひとり。生きていくのもひとり。誰も自分のことなんか分かってくれない。分からないんです。でも、そう、嘘をつかれない方がいいと思う。嘘と言ってしまいましたけども、良くあるのは、そう、そう、あなたの気持ち分かるわ。分かるんですか。本当に分かるんですか。「死別の悲しみ」という科目を大学院で持っていますが、「分かったふりをするな」「え、どういうことですか」「考えて。あなたは人のこと分かるんですか。分かるってどういうことなの」。先ずこの確認から入っていくんですね。分かったふりは傷つけるということを見ていますのでね。

分からないことは分からないです。親子といえども分らないんです。夫婦でも分かりません。恋人でも分かりません。そのくらい私達は個別なんです。そこがベースになってきますよ。これはですね、ご遺族にこそ伝えるべきかもしれない。というのもすぐ比較するから、「5 年経ってもまだめそめそしている私って変ですよね」「変じゃないですよ。あなた なんでそう思うの」「だって、同じ体験している何々さんて立派じゃないですか」「人は人、あなたはあなた」だから、デス・エデュケーション(Death Education)とかグリーフ・エデュケーションとか、大切ってそういうことなんですよ。特に私、日本社会は大事だと思います。

ことさら、他者評価ですね。自己評価がどうされているか。気になって仕方ないから、「いいじゃないか、あなたはあなただから」。
とにかく、徹底的に個別なんです。受け止め方もバラバラ、表現の仕方も、その後の過ごし方も異なります。じゃあ、どうしようか。メッセージ出します。反応はそれぞれですよ。
それは先ず、ご遺族の方に申しあげます。あなたはそれでよろしい。どうぞ、ご遺族の方に伝えていただきたい、そんなふうに思います。手掛かり無いですね。
でも、大丈夫です。大丈夫というのは無責任な言い方なんだけれども、次のこれは共通していると思います。
 
ここがブレルご遺族は私はいないと思います。ですから、二つ申し上げております。どのようにご遺族理解しましょうか。ひとつは個別性。
二つ目は共通する点でございます。
その共通点は先ず無力化です。徹底的な無力化。まあ、これは説明するまでもないと思いますよ。先ず、私達、死を想定しては生きておりません。そんなことをしたら生きていられません。いつも、ずっと一緒にいられるという前提でやっていますね。

実はですね、私の最初担当したケースがこれなんですね。ご兄弟を亡くしたんですね。だから、朝出かける時には「行ってきます」って言って「お帰り、只今」ということが大前提な訳なんだけれども、その「行って来ま〜す」っておうちで別れたきり、ご兄弟には会っていなかったんですね。だから、知らされた時には、もう霊安室で亡くなっている訳です。その人こう言いましたね。「私1回もお別れ言っていない。私、一番大事なあの子に1 回もお別れ言っていない」、「そうか、ここで言えば、ここで言えば」「1 回も先生私泣いていない」「ここで泣けば。遅いかもしれないけれど、今泣けば」そういうことだと思いますよ。想定していないこと起きちゃっているんですよね。

その時、私達どうするか。もう息することも辛どい。考えられませんよ、面倒くさい。徹底的な無力だと思いますね。

これですね、次に繋がっていくんですよ。「何でこんな目に遭うのよ、なんなのよ」。もうここまで来ると私達お手上げですよね。だって答えられませんもの。ただ、分かったふりをする。
またこういうアプローチなんですね。「何々さん、あなた辛い目に遭うのはあなたに耐える力があるからですよ」「きっとこのチャンス生かして、より良い人生歩めるわ」って言われても、根本的なものに答えてないですよ。

何で私にこれが起きるのか。それには誰も答えてない。にもかかわらず、一生懸命後付していく訳ですね。分かりますよ、支えたいという気持ちが。でも、言われた者はそれが辛い。

“不健康”これも共通すると思いますよ。 さっきのメンタルヘルスとかですね、そこのところでWHO云々出しましたけれども、これだっていっぱい、いろんなことあると思うんですが単純でいいと思う。
楽しい時に笑える、悲しい時に泣ける、怒ることができる。それは私達が健康だからです。楽しくても笑えない、悲しくても泣けない、いかにも不健康ではないでしょうか。とどのつまり、生きていることに関心がないんですよ。どうなってもいいんですよ。
これはやっぱり、私はね、人として不健康かなと思いますね。この2点共通している。

この提案というか、データに関してはですね、皆さん今さらっていうことだと思いますので三つ目をご紹介しましょう。

■共通する気づき

@無力感
自分の存在、ひいては人間存在への疑義
大いなるものへの懐疑

A不健康
気力がない
生きることに関心がない
楽しいことなどなにもない

B喪失感
対象の喪失
愛や憎悪など感情のエネルギーを誰に
向けたらよいのか?

方向の喪失
自分はこれからどこに向かうのか?
今、立っている場所はどこなのか?

圧倒的な喪失の感覚ですよ。喪失感でしょうね、おそらくね。やはり、ありえないことが起きてしまいました。その時に対象との関係の中でしか私達生きられない訳ですから、その対象そのものが失われた訳ですよ。如何したらいいのかということです。もう何もできないんじゃないでしょうかね。こう言葉にしてしまうと、いかにも陳腐だなとつくづく思っております。ですから、その辺私露払いでございます。

南部さんの方からもっともっと丁寧な言葉で発言されてくるんじゃないかなと思っています。でもね、先程も篠原先生、仰いましたよね。
「南部さん語っていることは、南部さんとても苦しいじゃないかな」いつも思っています。本当に私も申し訳ないと思っているんですけど。

以上の3点に関してはブレることはないと、そのように私思っております。ですから、徹底的な個別性を理解しつつ、共通点を見ているということだと思います。

これはですね、皆さんのレジメにはございません。それから私も直に言われたことはただの1回もございません。ただ、私はこう思っています。きっと、大勢の方は言いたいんじゃないか。

ひとつ目、どうしてあの人は死ななければならないのだろうか、教えてほしい。
二つ目。どうして私がこんな目に遭わなければならないのか、教えてほしい。
三つ目。どうしてこんな苦しい思いをしてまで生きていかなければいけないのか、教えてほしい。こんなに苦しいのであれば、もう死んでしまいたい。

繰り返して申します。私はご遺族の方から言われたことはございません。ご遺族の方はとっても紳士的です。とっても誠実です。とっても人を傷つけることに関しては怯えてらっしゃいますから、言われたことございません。私が勝手に思っております。きっと、これ言いたいんだろうな。皆さんいかがです。仮にこう言うとり方をされたとして、どのように、どういう対応を心掛けていらっしゃるか。おそらくですね、こういう講座が設定されるということはこのことを考えていることじゃないかと思っていますね。社会全体がですよ、皆が考えていることではないかと。そんなふうに思っております。

さて、三つ目のテーマでございます。繰り返して申します。遺族をどうするんですか。
二つ目、遺族理解をどう考えますか。
そして、三つ目、死別の悲しみって何なんだろうか。

戻るボタン 表紙へ戻るボタン 次へボタン