自死遺族支援のためのシンポジウム ―支援のための提言―

(前頁つづき C) 第1部■自死遺族に寄り添う“グリーフ&モーニング” 講師:東京福祉大学・大学院 教授 鈴木 康明

死別の悲しみ

またですね、三角形を作ってみました。下から上に遡っていきます。一番下でございます。
個人差ですね。先程来、ずっと個別、個別と申し上げましたが、ほんとに人により異なります。ここもう一度復習です。悲しみの表現方法が異なりました。勿論、前提として受け止め方が異なるってことがありますよね。それから悲しみの程度、頻度、そして耐性。

 
どういう体験をされて、今また体験されているのかなということは徹底的に異なりますよ。お隣の方と皆さん全く異なりますよ。合わせることが非常に難しいです。これが一点目です。

そして二点目。当たり前のこと申し上げますけれど、ここキーワードと思います。あまりにも悲しみは主観的なんです。誰にも分からないことなんです。質量ともに悲しみを測れないんです。

何かですね、皆さん、共通するものをお感じになりませか。質量ともに測れない。でも、ご本人が悲しいという以上、悲しいんです。今日もちょっと関係の方いらしていますね。悪性新生物末期の例えば痛み、いかがですか。痛み、私には分かりませんよ。だからこそ、痛みに対する関わりを一生懸命ホスピスはしていますよね。それでも亡くなっていくんだけれども、せめて残された時間ぐらいその人らしく何とかということで、モルヒネ使ったり、いろいろやっている訳じゃないですか。
でもその痛みは私には分からない訳です。ご本人は痛いと仰っている訳ですよね。だから、私達は「ああ、痛いんじゃないのかな」。そのくらいしかできないんですね。

じゃあ話を元に戻した時に、悲しみもご本人は徹底的な悲しみを味わっていらっしゃるけれども、それが私には分からないんです、ということはいかがですか。どうも、共感の対象から外されやすいのではないだろうか。そして関わる私の主観的尺度が優位に立っていくんじゃないんだろうか。さらには私の経験、社会通念による思い込み、これって差別ではありませんか。先程ちょっと申しました。5年も経って、悲しい私って変ですよね。変ですか。5年しか経っていないんですね。にもかかわらず、如何してそう思っているか。誰かと比べてらっしゃる、もしくは私ですよね。
「何々さん、またその話ですか。またあなたそこで泣くんでしょう。何時まで泣いているんですか」。こうなると完全に私の主観に持ち込んでいますよね。物差しを私に持ってきていますよね。繰り返し申します。その方にとってはたった3年しか経っていません。にもかかわらず「私はもう3年」こういうニュアンスですよ。

■グリーフとモーニング

@グリーフ grief 悲嘆:悲しみ嘆く
 死別体験がもたらす一連の反応
 自然で健康的なあたりまえの反応
Aモーニング mourning 哀悼:悲しみ
 悼む喪の期間における変容の様子
 個別性の理解

ご遺族の方に対してのメッセージも含めて、 大きな課題を私達背負っています。とかくですね、整理されずに使われる概念で
“グリーフとモーニング”がありますのできちんと分けます。
“グリーフ”は“反応”ということでしょう。
これは実はただ単純な“反応”ではなく、4領域にまたがってくるとてつもないものなのですけれども、ひとまず“反応”です。
 併せて、“モーニングプロセス”。 これも日本語にしました。 “哀悼”喪の期間におけるプロセスですよ。

二つ合わせてグリーフ。グリーフの4領域。細かくて申し訳ございません。4つです。
先ず、情緒面。
二つ目、身体面。
三つ目、行動面。そしてその他。
とかく私達は、例えばですね、分かりやすいということで、グリーフ、情緒面を見てしまいますけれども、それだけではないですよ。

併せて、身体面に対しても相当破壊的な力を持っています。
医療との連携はとても大事です。でも、薬物の投与は対処療法なんですね。確かに、その場はひとまずいいでしょう。
でも根本に死別の悲しみがあった時に、胸が苦しい、息が苦しい、音が怖い、歩けない、如何しようかってことなんですよ。あの決して大げさに申していませんよ。本当にそうです。筋力も本当に弱まってきます。だから、すさまじい力を持っています。行動もバラバラです。お一人の方が矛盾したものを出します。そうすると私達混乱します。如何してなのか。その無茶苦茶ぶりがまさにグリーフだと思いますよ。そして分類できませんものをその他に一括しました。否認、歪曲にしますね。「死んでいませんよあの人。生きていますよ。遠くに行っているだけですよ」。受け止めたくありませんから。

あの、東日本大震災だけではない。今回も私、大島のあの台風がこれは考えられない災害だと思うんですね。そうすると行方不明者何名ですか。東日本大震災における行方不明者何名ですか。大島の今回の行方不明者何名ですか。行方不明って分かりますか。死が確認できないんですよ。

気仙沼のある方はこう言います。「もう2年経ったのだから死んだぐらいは分かる。でももしかするとどこかで生きているんじゃないか」。こういう言い方をする、腑に落ちないです。

頭では分かるんです。でも、腑に落ちてこないんです。そういう時に、否認する、歪曲する、いいじゃないですか。生きてるかもしれないです。本人そう思っていますよね。それから幻覚、それから個人の実在感、いろんなものがですね。その他に入ってきますのでいかにも破壊的ですってことを申し上げます。

参考までに子供です。チョッとお暇な時にですね、子供を見直しておいて下さい。大人と重なる部分も大いにありますけれども、異なる分もあります。

例えば身体面。子供特有でしょうかね。皮膚感覚ですね。痛いのも辛いですよ。かゆいのも辛いですよ。本当に辛いですよ。本当にかゆいですよとか。
それからですね、行動面もどうだろうな。性的な行動に結びつくかもしれない。


まだまだあるんです。
大人の悲しみでいっぱい、いっぱいですよ。まだ、子どもなんてと言われてしまうけれども、子どもも見ていかないと。ですから、ここはチョッと参考までに子どもの悲しみをご紹介申し上げました。併せて、こういう場ですので、子どもの危険性も触れておきましょう。
大人も大切ですよ。でも子どもも大切ですよ。

例えば、D番いかがでしょうか。子どもの自尊感情が傷ついてしまう。別にその子が何かした訳ではないんです。でも、大切なその子の誰々が亡くなった時に、その子自身がとっても傷ついているから、人生観そのものも動いてきてしまう。どうせ、どうせ人間なんて死んじゃうんじゃないとか。だからこそ、専門的な関わり必要でしょ。今、皆さんどのくらいご存知ですか。死別体験をさせられた子どもに対する関わりしているところ、仰っていただきたい。どのくらいございますか。

■Early Death を考える

早期から飲酒、喫煙の習慣化 → 身体疾患へ
アルコール依存、薬物依存、抑うつ状態 対人
関係不安、暴力行為、性非行 自傷、自殺
企図etc. → だからこそかかわりが必要 !!!

さあ、社会の課題は山積みですよね。大人も大切です。子どもも大切です。最後に子どものEearly Death。死別体験を早くしてしまった子達のその後の人生に如何も早期から飲酒、喫煙とか、ですから、結果的にアルコール依存とか、薬物依存とか、抑うつ状態とか。
ということが生じているのではないか。これって生きながら死んでいくことだろうと。
さあ、今回のテーマですね。遺族ケア、死別の悲しみの中でですね、このあとにですね、南部さんの方から具体的に出てくると思います。

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